16番ゲージで機関区を中心とした組み立て式レイアウトをTTCメンバーで運営しています・・・・・・
ときに青春時代に撮影した国鉄車両の写真も掲載しています
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 今回も「わが国鉄時代8」に数枚写真を掲載させて頂きました。 数えてみたら都合18枚となり有難い限りです。 撮影した当時は何気に撮ったつもりでも、偶然も重なり生き生きとした躍動感の ある写真が載せられています。 標準レンズしか持っていなかったので、限られた撮影場所を見つけては、 構図、シャッタースピード、 露出等々、それなりにアタマを使いました。 その場所も出発前に地図を買い、目星を決め現地に着くとあちこち歩き周ったのでした。 ある意味、体力勝負みたいな撮影旅行だったのかもしれませんね。 関東のカマが終焉となると、長距離になりどうしても何処かに泊まることになります。 お金が無い青年としては、 1.寝袋で駅のベンチ 2.とにかく安い旅館 3.ユースホステル の何れかとなります。 1と2の思い出は後日書こうと思います。 3のユースは学生にはとてもありがたい施設で、北海道ではとてもお世話になりました。 「ホステラー」ってご存じですか・・ ユース会員のことです。 おそらく、蒸機を追いかけていた若人は皆お世話になったかと思います。 はっきりしませんが、たしか700円程度で泊まれたかと・・。 持参したスリーピングシーツを敷き、定刻時間に寝なければなりません。(ムショ?) もっとも疲れているので爆睡です。 6~8人の相部屋で、自分より年上のニーチャンが多かった記憶があります。 イッコーさん的なお方がいないでよかった・・デス。 記録を見ると、北海道では、 3/24白老ユース・3/26釧路ユース・3/29~3/30?村川ユース・ 3/31斜里ユース・4/1~4/2もんべつ流氷の宿を利用していますが、 3/25と3/27、3/28はスタンプがありません。 25日は根室本線の何処かの駅か忘れましたが、切り離しにあい 途方に暮れ、やっすい宿に泊まった記憶があります。 27と28は夜行3等寝台か駅のベンチだったかも。 一度検証しなければなりませんね。 民営系のユースだったかと思いましたが食事がとても美味しかったことと、 そのあとのミーティングで、ご主人がポロンとギターを弾いてくれた ことが、脳裏に焼き付いています。(紋別かなぁ) お世話になりました。 ユースホステル! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 予算の関係と蒸機はモノクロであるべし・・と信じていたので総天然色は ほとんどありません。 たしかに20年、30年経つと劣化し変色してくるのですが、流石にデジタル時代とも なると、素晴らしいソフトがあります。 こんなに変色した写真も・・ クリックひとつでかなり綺麗になります。 もう少し時間をかけて修正すれば相当良くなると思います。 タンスに眠っている写真、もったいないので蘇らせることお薦めします! PR イーストマン コダック社がフィルム以外の新規事業やデジダル化等に 乗り遅れ破産申請しました。 昨日、カンブリア宮殿に出演した「ブラザー工業」を観てなんと対照的なことか・・と・・・ ミシンのメーカーが今やプリンターや通信カラオケで7割を稼ぎ出しているという。 43年前初めてカラーフィルムを使ったのが、ご存じフジフィルムでした。 その2年後にコダックを使ったら、フジに比べて断然発色が良く、以後カラーフィルムは これだネ・・と信者になっていた時代を思いだします。 だだ、貧乏中学生にはとてつもなく高価なフィルムで、 1.お天気が良い日 2.蒸機の背景が素晴らしいこと 3.特急DC ・・と自分なりに一定のラインを引いておりました。 その後、アルバムに整理するときも、雑誌きどりでトップページに貼り付け 楽しんでいたものです。 青春時代にコダクロームで楽しませていただきありがとう! ゆさぶられました・・ 40年前のアルバムです。 トップはコダカラー! 色褪せた写真もなかなか味わいがあります。 当時のコダカラーは一番自然に近い発色だったような気がします。 仕事人生も第四コーナーの直線に入り、もうひとっ走りというところであります。 第三コーナーを回ったあたりから、再び趣味という世界の時間が出来るようになり、 TTC運転会を軸として夢の実現を図っているのであります。 思えば、幼少時に親戚のアニさんに秋葉原へ連れられ (この方、やたらとラジオ等の自作マニア) 、真空管やコンデンサーなど を買いあさり、電気街をウロウロした記憶がございます。 そしてジャムパンをがじりながら、秋葉のはじっこに位置する交通博物館に 寄るのが行動パターンだったのです。 初めて目の当たりにした精密な鉄道車輌の模型や巨大なレイアウトは、 当時では少年達の夢の国でありました。 ホントに・・ 特に1/20サイズくらいの80系や151系など脳裏に焼き付いております。 ジィっといつまでも立ち止まって観ていました。 その後、HOを知るようになり、友人達と天賞堂の4階のレイアウトを観に行く だけの青春時代を過ごしたのですが、 秋葉原の交通博物館はボクらのデズニーランドでしたね! C57135号機の向かい側の ナンバープレートも自由にさわることが出来ました! ここは木曽福島機関区だと思われます。 どういった経路で、ここを撮影したのかは、微塵も覚えておりません。 はっきり脳裏に焼き付いているのは、熱いのなんの、直射日光が ギラギラと射していたこと。 あずい・・ 特大のハチのムサシがそこらじゅうにいたことです。 おそらく、この写真は、駅のホームからの撮影ですので、 まったく気合が感じられれませんが、まぁ記録写真としてご覧くださいませ。 森林鉄道の上松駅での入れ替えに活躍したC12ですね。 バックに住宅が見えます。 先達て見たときも崖の上にぎっしりと 住宅が立ち並んでいました。 向こう側には国道が走っていると思われます。 集煙装置は山男の証しでございます。 山男蒸機を展示するなら、このスタイルでなきゃ。 木曽福島機関区の所属ですね。 |
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アーカイブ
プロフィール
HN:
TTC8620
性別:
男性
趣味:
ポールマッカートニー大好き!
自己紹介:
小1の時、父親にOゲージを買ってもらう。 たしかEB50。 中1の時、F君と総武本線に行き、8620・C58を見て衝撃を受ける。 学校のクラブ活動よりも自分達のSLクラブ活動を優先してしまう。関東近郊のSLを撮りまくる。中学校のダルマストーブは「投炭」の練習。 夕方、中原電車区・新鶴見機関区に出没。 中3の時、二人で6泊7日の東北1周、SL撮影の旅をする。16歳で観た東北の原風景は一番の思い出となる。
その後、進学・就職・結婚へと人生まっしぐら。 SLどころではなくなる。 30代前半頃から居酒屋でSL談議が多くなるもお仕事優先の生活。 30代半ばに脱サラ、起業、全国を飛び回る。 ついでに鉄道撮影も。 40代前半になると事業も安定し天賞堂等の模型店に足が向いてしまうようになる。いよいよエンジン全開で40代後半より今まで憧れていた機関車を買い集める。 50代前半では楽しく、思いっきり車両を走らせる目的で、F君と2008年に「高津鉄道クラブ・TTC」を結成する。 製作技術はアバウトだが面白可笑しく楽しんでいる。 50代後半より大学時代の友人達とバンドを再結成。 サウンドスタジオ渋谷でビートルズ・ポールマッカートニーのコピーを楽しく演奏。(ドラム担当) 息子クンがリードギターでオヤジ達を牽引。 60代に突入し上野黒船亭にて30名が集いF君のMCとN君のギター&ボーカルで還暦ライブパーティーを実演。 みんなで演奏するのは実に楽しいものです。 ここからは「真剣に面白く」 クイのない人生を歩みたいと思います。
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