16番ゲージで機関区を中心とした組み立て式レイアウトをTTCメンバーで運営しています・・・・・・
ときに青春時代に撮影した国鉄車両の写真も掲載しています
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 今月、約40年ぶりにTTCのお仲間と木曽路を訪れました。 道中、展示された木曽のD51を観ると、沸々と40年前の青春が蘇り、 早速、ネガボックスからサイセンのフィルムを整理してみました。 中央西線のダイヤをチェックしながら、 「そろそろ、○○○ レとすれ違うころダナ・・」 窓からカメラをグィと伸ばします! やがて、向こうからモーレツな勢いでD51がすれ違います。 この駅本屋の構造、変わっていませんでしたね! 当時も柱ががっちりしています。 木曽のD51はこの「お顔」! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今日、わが国鉄時代 Vol. 7が発売されました。 サブタイトルがいいですね! 「あの日、あの瞬間こそが原動力」・・・とあります。 いいな、その通りです。 まさにあの時間、瞬間こそが青春を謳歌していたと思います。 今回も掲載していただきました。 F氏のと合わせると、Vol.4から都合17枚も載せて頂いたことに感謝です。 Vol.7ではフィルムからデジタル化への特集が組まれています。 フィルム崩壊への処方箋とあり、とても参考になると思います。 PR わが国鉄時代Vol.7に投稿しようと思い、ネガを整理していたら、青春時代 乗っていたニッサン、ブルーバードスリーエスの写真を発見・・・ フロントグリルには「ダットサン」のエンブレムが誇らしげにチラッと見えます。 当時はこのクラスで、初の4輪独立懸架や砲弾型ミラーで、結構人気が あったクルマだったと記憶しております。 乗り味は4,50キロ程度ではなかなかのもんでしたが、100キロ出す とハンドルがビリビリ震えと安定しないクルマでした。 ですから高速運転は精神を集中させ、やや前のめりになっての運転です。 それとパワステでは無いので切り返しの重たかったことなど この頃のクルマを扱うには色々とコツがいりましたね。 こんなクルマでも、楽器を沢山乗せて静岡まで遊びに行った懐かしの一枚です。 ノリノリです(昭和のナウいトークです) はだか電球1個です。 (ヒューズが飛ばないようにね) 中学生時代の移動手段といえば、マイ自電車。 当時の国鉄最低区間料金は30円とはいえ、月々のこずかいが500円程度の 学生にとっては 痛い出費になるわけです。 ちょい撮影はバイスクールで頑張らなければなりません。 500円×11ヶ月も辛抱すれば、ダイヤモンドシリーズが手に入るのですから。 今思うと、何と長閑で粋な時代だったのだろうと思い出すことがあります。 FクンとED16を撮影に行ったときのことです。 二人とも途轍もなく空腹状態になり、会話は「ハラへった~」ばかり。 駅でカシパン買ってくればよかったなぁ~ (たしかカップヌードルが発売されてない時代です) そんな時、スーパーカブのラーメン屋のおっちゃんが通りかかり、 「すんませーん、ラーメンここに出前してもらえませんか!」と 勇気あるトーク。 ・・・ ・・・おじさん、僕らの貧相な状態を察し、「おう、ちょっと待ってナ」 っと粋なお言葉。 ブルルルン・・とスーパーカブ即行で、 醤油ラーメン2丁デリバリーして頂いたのでした。 このラーメンの美味しかったこと、忘れられません。 感激のワンショット! そして撮影を続けたのでした。 今月復活したC6120号機、とても嬉しく思っています。 が・・前々から気になっていたのが、復活20号機のナンバープレートの位置です。 現役時代を目の当たりに観た世代は、ナンバープレート、もっと上だよなぁ~ っと思っていたのではないでしょうか! ところが、ホビダスの情報 (6/20)によるとプレートの位置を上方に修正したとのこと。 ほんとによかったです。 これは1971年3月、奥羽本線大釈迦付近での一枚です。 プレートの位置が高く、精悍なマスクです。 模型でも、貼り付けるとき一番気を使うところです。 当時は、やっぱ、D51より早いなぁ~、なんて感動してました。 実際は早く感じただけだったのでしょうが・・・
2月下旬にネコ・パブリッシングの山下修司様より
「わが国鉄時代」の原稿募集とのメールがあったので、 早速ネガの整理をしていたら例の震災が発生。 イレギュラーの仕事をこなしながら、好きな写真を数枚チョイスして なんとか締切に間に合いCDを発送しました。 今日、文教堂さんに行ってパラパラッと観たら、おぉ6枚載ってる・・! ありがたや、ありがたやです。 なかには前回送った写真も載せてもらってます。 ありがたや・・ 山下殿・・ センキュウ・・ 決して上手では無い写真でも、こうして御本にして印刷していただくと イイ写真に観えてくるから不思議です。 この本に投稿している方は、おそらく昭和30年前後生まれから35年位の方が 多いのではないでしょうか・・ (鉄腕アトム、忍者部隊月光を知っている世代・・) そろそろ、仕事も第四コーナーに入っている世代だと思います。 もしくは早めにゴールかも? 自分の時間が作れる年になると、こういった思い出の国鉄時代の写真への 投稿が増えていくのでしょうか。 そうなるといいですね! お小遣いはやりくりして貴重な乗車賃になりました。 それにしても、こんな山奥で昼食何食っていたんだろー? よくクマが出没しなかったなぁ~ |
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アーカイブ
プロフィール
HN:
TTC8620
性別:
男性
趣味:
ポールマッカートニー大好き!
自己紹介:
小1の時、父親にOゲージを買ってもらう。 たしかEB50。 中1の時、F君と総武本線に行き、8620・C58を見て衝撃を受ける。 学校のクラブ活動よりも自分達のSLクラブ活動を優先してしまう。関東近郊のSLを撮りまくる。中学校のダルマストーブは「投炭」の練習。 夕方、中原電車区・新鶴見機関区に出没。 中3の時、二人で6泊7日の東北1周、SL撮影の旅をする。16歳で観た東北の原風景は一番の思い出となる。
その後、進学・就職・結婚へと人生まっしぐら。 SLどころではなくなる。 30代前半頃から居酒屋でSL談議が多くなるもお仕事優先の生活。 30代半ばに脱サラ、起業、全国を飛び回る。 ついでに鉄道撮影も。 40代前半になると事業も安定し天賞堂等の模型店に足が向いてしまうようになる。いよいよエンジン全開で40代後半より今まで憧れていた機関車を買い集める。 50代前半では楽しく、思いっきり車両を走らせる目的で、F君と2008年に「高津鉄道クラブ・TTC」を結成する。 製作技術はアバウトだが面白可笑しく楽しんでいる。 50代後半より大学時代の友人達とバンドを再結成。 サウンドスタジオ渋谷でビートルズ・ポールマッカートニーのコピーを楽しく演奏。(ドラム担当) 息子クンがリードギターでオヤジ達を牽引。 60代に突入し上野黒船亭にて30名が集いF君のMCとN君のギター&ボーカルで還暦ライブパーティーを実演。 みんなで演奏するのは実に楽しいものです。 ここからは「真剣に面白く」 クイのない人生を歩みたいと思います。
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